妻の職場のセクハラ
僕の妻は飲食店でパートをしています。
従業員は主に女性で、大学生から主婦まで。
年代は20代~40代で比較的若めです。
そのパート先の店長が酷いセクハラ野郎だそうです。
特定のパート職員に対して、毎日LINEを送っているとのこと。
「〇〇さんってスカートはかないの?」
「〇〇さん最近シフト入ってないね」
「〇〇さんって電気消す派?」
妻から話を聞いたとき、今の時代にそんなことがあるんだと思いました。
たぶん、その店長はセクハラしてる意識がないんだろうな。
キムタクや福山雅治がドラマのセリフみたいに言うなら、セクハラには聞こえないのかもしれませんが…。
セクハラって相手が嫌だと思うかどうかが判断材料になりますよね。
だからこそ、女性への発言に対して自己を客観視することが大事だと思います。
自分はどこまでがセーフなのか。っというより、軽率な発言はしないというのが一番ですね。
ちなみにその店長は妻も子もいるそうです。
本人なりのストレス解消法なのかな。終わってますね。
しかし、そんなに女性と絡みたいものなんですかね。
分からないものです。
コロナウイルスに対応した内閣府職員
が自殺してるんですよね。1カ月前くらい。
1日だけニュースで見ましたが、それっきりです。
凄まじく辛かったんだろうな。
メディアで国の対応などが色々批判されていますけど、一番忙しいのは最前線の職員です。
県庁にいるときに国の職員と仕事をしましたが、彼らの忙しさは凄まじい。
人も少ない。
ある省庁の職場にも行きましたが、かなり狭いスペースで、しかも設備も古く、厳しい職場環境でした。
亡くなった職員がどんな人か知りませんが、自殺するくらい追い込まれていたその職員のご冥福をお祈りします。
想定外を経験して思うこと
自分にとって、うつになったのは想定外でした。
元々悩みやすいタイプでしたが、病気にならないだろうって。
うつになってからは色々なことがありました。
会社に行けなくなったし、激やせしたし。
いろいろ価値観が変わって、人間変わったと思います。
だいぶ元気になってから毎夜思うことがあります。
それは、「明日死ぬかもしれない」ということ。
うつになる前は、自分がうつになるなんて思ってなかったので、未来のことばかり考えていました。
早く土日にならないかな。はやくGWにならないかな。早く出世したいな。
今が辛くても、耐えれば明るい未来が必ずくると思っていました。
だけどうつになったとき、未来が全くみえなくなっとき、絶望しました。
何も楽しくない。何もない。何のために生きているのか。
回復してからは毎日心掛けていることがあります。それは「今日」を楽しむということです。明日がくるなんて何も保障がないのだから。
うつになりながら県庁に行っていたとき、もし事故などで死んでいたら、僕は後悔していたと思います。
魂があるのなら、現世をさまよっていたでしょう。
もっと妻や子どもと過ごしていれば良かったな。なんで最近全然会ってなかったんだって。
だから「明日死んでも後悔しない」を基準に、毎日できる限り楽しく過ごすことを心掛けています。仕事も楽しく(できるだけ)、家族も楽しく、そして自分自身が楽しくです。
仕事もプライベートもスマホで管理してからストレスが減った
社会人になってから、ずっと手帳を使っていました。
TODOリストは基本は紙ベース。
復職して、ストレスフリーで過ごせるように、いろいろ思考錯誤した結果、
今は全てスマホです。
主にカレンダーとTODOリスト。
カレンダーは二つで、仕事用のGoogleカレンダーと家族共有のTimetreeです。
TODOリストはTodoistを使っています。
これで仕事、プライベートのタスクのほか、簡単なメモや忘れたくないこと(目標やストレス解消法など)を管理しています。
このようなスタイルにしてから早4か月。
とてもいい感じです。予定を忘れることがなくなりました。
覚えていようとする脳のメモリが解放された感覚です。
必ず記録しているので、思い出せないストレスがなくなりました。
そして自分が抱えていることをすべて管理できているので、安心感をもつことができます。
うつになる人は悩みやモヤモヤに脳のメモリが使われてしまい、ほかのことに使う余裕がなくなってしまうことがあるのかなと思うので、このようにしてから、冷静に考える頭のスペースが空いたような気がします。
新たな悩みもできました。それはスマホが古いということ。買い替えのタイミングを逃し、いまだにiPhone6です。
スマホに触れる時間が増えたので、電池とパフォーマンスの問題がでてきています。
ただiPhone11は高いし、大きい…。proは高すぎる…。SE2とかiPhone12の噂もあるし…。買い替え時悩み中です。
産業医面談について~体験記・思うこと~
公務員に限らず、民間企業でも産業医面談という制度がある組織が多いと思います。
これは、病気で休職している人が職場に戻れるかどうか、その判断のために、会社が契約する医者と面談するというものです。
組織により、産業医の意見がどれほど尊重されるかは、まちまちだと思います。
ただ、主治医は復職可能と判断したが、産業医が不可としたため、会社として復職を認めなかったという事例もあります(判例があります。)。
現にリワークで知り合った方は、産業医から復職可能の判断がなかなかでず、免職の可能性がでてきたと話されていました。
ここからは僕の体験記です。僕は今まで産業医面談を5回受診しました。
①会社を休んで3か月目
病気休暇が切れるタイミングでした。市役所だと、最初の3か月は有休扱いの病気休暇なのですが、その後は休職処分となります。
このころは少し回復してきましたが、まだ不安定で、産業医面談でも涙がでてしまうなどボロボロでした。復職の判断はできないと言われ、その後会社より休職発令の通知がきました。
②会社を休んで5か月目
経過報告です。このときの僕はだいぶ安定していました。色々と吹っ切れていました。
ただ、少しおどおどしていましたね。ちょうどリワークに参加したころでした。
ある程度順調だと言われました。
③復職訓練の1週間前
訓練可能かの判断の時期です。結果は良好で問題なさそうだと言われました。
④復職訓練の1か月経過時点
経過報告です。このころはだいぶ元気でした。
⑤正規復職の1週間前
正規復帰の最終判断のタイミングです。問題ないということで、後日会社より休職解除の通知がきました。
下記より産業医面談を通じて思ったことです。
1 産業医面談はプレゼンの場
主治医の前ではありのままの姿を見せている方が多いと思います。ただ産業医は復職を判断する医者です。産業医との面談を通じて、復職したいのであれば、それ相応のプレゼンを行う必要があると感じました。
上記②のあたりから意識し始めました。逆にいうと①の段階ではそんな余裕はありませんでした。
この人は職場に戻っても大丈夫そうだと判断されるためには、実績が必要です。なので、僕は毎日の生活記録表を面談の度に示し、自分の気力・体力・生活リズムが安定していることを数値で見せていました。例えば気分はその日-2から+2までの間でどの数値だったか、それはなぜか。体力については運動時間などです。
2 きついことを言ってくるかもしれない
医者の性格も人それぞれですが、産業医は結構厳しいことを言う人が多いかもしれません。僕の会社の産業医もそうで「口で大丈夫だと言われても信用できないよ」なんて言われました。結構へこみますよね。産業医面談で体調を崩す人もいるようです。
真意は分かりませんが、これくらいのコミュニケーションにも耐えられなければ、復職は難しいよという意味があったのかもしれません。復職までの試練だと、僕は思っていました。
以上です。一つ注意です。うつが全然良くなっていないときに無理する必要はありません。無理して自分をよく見せた結果、復職後に再発してしまっては本末転倒です。
何よりも焦らずです(焦りに焦っていた自分が言うなって話ですが…。)。
ある程度回復してきて、自分の中で復職しても大丈夫そうだと思ったところで、上記を意識してみると良いかもしれません。僕もそうでした。
そして面談で何よりも大事なのはエビデンス(実績・証拠)です。仕事もそうですもんね。
誰かの参考になれば幸いです。
うつになって思う心理的安全性の大事さ
心理的安全性。
リーダーシップ論を学んでいて、印象に残った言葉です。
この言葉は、最近のあらゆるマネジメントの雑誌において、よくでてきます。
心理的安全性を確保するとは何を意味するのか。
それは、チームメンバーの心理的安全性が確保されていないと、
メンバーのポテンシャルが発揮できないということです。
圧力的な人が支配するチームや風通しの悪いチーム、人の悪口ばかり言うようチームは働きづらいです。
今思うと、県庁のチームは心理的安全性が確保されていませんでした(僕がうまく確保できるように立ち回れなかったという側面もあります。)。
ものすごい高圧的な先輩がチームの空気を支配していました。無気力感もありました。
毎日管轄する市への悪口ばかりでうんざりでした。
知らず知らずのうちにストレスが溜まり、先輩が隣に座っているだけで緊張している状態になり、パフォーマンスが下がっていきました。そして病気になりました。
今働いているチームは、心理的安全性が確保されていると感じています。
復職前はあれだけ働くことに自信がありませんでしたが、効率的に業務を遂行できています。最近では社内のコミュニケーションも円滑にできるようになってきました。
自分がチーム内で安全性が確保できてるという心理は、本当に大事なようです。
でもどこの組織にも、心理的安全性が確保されていないチームがありますよね。
僕も、これからの人生でそのような部署にまた異動するかもしれません。
そしたら運が悪かったと諦めるしかないのか。働きづらい環境に我慢してストレスを溜めていくしかないのか。
諦めないために、そのような事態に備えるために、勉強するしかないのだと思います。
リーダーシップ論でいえば、リーダーだけのものではなく、メンバーからできることもたくさん書いてあります。
休職期間中に学んだ認知行動療法も、自分の心理的安全性を確保するための一つの思考方法だと思います。
僕が取り組んでいる時間管理法のGTDも、仕事を効率的に管理することで、心と頭に余裕を持たせることができています。
恥ずかしながら、うつになるまでリーダーシップ論をはじめあまり勉強していませんでした。本を読んでいてもあまり目的意識を持っていなかったので、身についていませんでした。読んで満足みたいな感じです。
うつにならずに運よくリーダーになっていたら、僕も高圧的なリーダーになっていたかもしれません。
最後に最近のおススメの本を紹介します。
「本当のリーダーは引っ張らない 河合大介著」
タイトルがうつにならない働き方でもいいくらい参考になります。
うつにならないために、自分を守るために働くことは、幸せに生きることに繋がるのかなと最近思います。
そして、日常の大半を過ごす職場においても幸せでありたいなと。
全ては幸せに働き、そして幸せに生きるためにです。
うつになっても人生終わらない
僕はうつと診断されて会社に行けなくなったとき、人生終わったと思いました。
治らないかもしれないし、治ったとしても再発するかもしれない。
市役所に戻っても、後ろ指さされながら生きていくのかな。
弱い奴とレッテル張られて生きていくなんて耐えられない。
何をしても楽しくないし、何を幸せに生きれば良いのだろう。
うつの旦那なんて、妻も子もかわいそう。友達も離れるだろうな。
こんなことばかり考えていました。
うつは脳の病気です。不安はどんどん沸いてきました。
病気になるとあふれ出てくる不安な感情や自責の念、他人への恨みは、脳が病気だからと考えた方が良いと思います。
脳が回復してくれば、少し冷静になって考えられるはずです。
そして回復は必ず訪れます。ただ、時間が必要です。
焦ったところで、時間は経過しません。
時間が経つのは怖いけど、時間が必要です。
僕は回復の兆候が出てくるまで、3か月かかりました。
今、僕は復職しています。うつになって8か月経ちました。
うつが完治したかどうかは分かりません。薬もまだ少し飲んでいます。
でも、楽しく過ごせています。
今は、うつになった自分を受け入れて、新しい自分を再構築している最中です。
そして、うつになる前に漠然と感じていた生きづらさが、なくなってきています。
うつになって、自分の「幸せ」や「生きる目的」、「自然体の自分」、「なりたい自分」をしっかり考えるようになりました。
先に述べた不安な感情の数々も、いまは下記のように考えられるようになりました。
再発予防はしっかりやった。そもそも人生何があるかなんて分からない。
後ろ指さされるかもしれないけど、信頼してくれる人もたくさんいる。
うつになったことない人に何か言われたら、右から左に受け流せばいい笑
レッテルなんて他人が張るもので、「自分」をしっかりもっていればそれでいい。
自分にとって楽しいと思うことがはっきり分かった。
そして、うつになった自分を、妻も子も友人も受け入れてくれた。
そうは言ってもうつは三寒四温。たまに不安になるときがあります。
でも考えてみれば、うつになる前からよく不安になっていたことに気づきました。
人の目ばかり気にして、何かに怯えて、人に気を使ってばかりの自分は不安ばかりでした。日常の不安になる数でいえば、うつを経験した今の方が少ないです。
だから、うつになって人生終わったと思っている人がいるならば、
今は脳が病気でそう思わせているだけだから、あまり心配しないでください。
うつになっても人生終わりません。
僕を成長させるためにあえて怒っている
とうつになるまでマジで思ってました。会社で出会ってきたあらゆるパワー系の上司に対して。
先日妻にそんな話をしたら、お人好し過ぎるだろとカツを入れられました。
そう思いたかったんだと思います。人のことを悪いとあまり思いたくなかったんですよね。自分に自信もなかったし。
前職の会社で印象に残ってる上司がいます。その人は副支店長でした。
異常なまでに営業にノルマを課し、自分の要求に応えられないと怒鳴り散らす。
机を蹴り飛ばす。
自分の今日の気分で、今日ノルマ○○〜と言い出す。
俺の時はもっと辛かったという。
そしてよく言ってました。
怒るのも疲れるんだよ。怒りたくて怒ってるんじゃねぇんだよ。
毎週金曜日は必ず飲み会。自分の仕事論をお話しされます。挙げ句の果てには、お前らも好きで飲んでるんだから割り勘だろと言い出しました。
いま考えるとクソすぎますね。けど当時の支店は恐怖に包まれてたので、毎日死ぬような思いをしながら仕事をしてきました。古い会社でした。
お客さんのためにではなく、その副支店長のために働いてました。それが普通だと思ってました。
結果として、その人は支店長になり栄転しました。ただ今は本部にいるようで、頭を使う部署にいるそうです。
部下を怒鳴り散らして動かすしか方法を知らないので、今は頭を使おうにも使う頭がなくて苦労してるそうです。
この人は怒ってるけど自分のことを思って言ってくれてる。だからこの人のために頑張らなくてはいけない。
この思考はパワー系上司にとっては格好の獲物でした。
まぁ相手からしたら言うこと聞くから気持ちいいですもんね。
ただ、うつになってだいぶ矯正されました。今はどこにでもいるそういう奴に対応できるように、勉強しています。
職場復帰~うつは三寒四温~
復帰訓練が終了し、無事職場復帰が決まりました。
うつになってからは復帰できることを目標にしていたため、とても嬉しかったです。
決まった日の帰り道は涙が出てきました。
ただ、復帰が決まってから、一度不安が大きくなるできごとがありました。
復帰が決まった翌日。昨年まで働いていたフロアに挨拶にいったとき、すごく視線を感じてしまったんですね。そしたらうまく話せなくて。
それがショックで3日間くらい引きずりました。4か月ぶりくらいの深い不安です。不安がどんどん湧き出てくるあの感じ。「再発」が頭に浮かびました。
ただ潰れないように、キックボクシングに行ったり、認知行動療法で学んだ適応思考を実践したりしました。そしてたくさん寝たら復活しました。
大丈夫。しっかり学んでいる。
うつは三寒四温。油断せず、ゆるゆると頑張ります。
うつになったら、焦っても焦らなくても結果「大丈夫」だから
うつの症状がでてからもう9か月くらい経ちます。今は体調が落ち着き、会社にも通えるようになりました。
治療の過程で一番言われたことは「焦らないで」ということです。ただ、うつになると焦るなと言われても焦ってしまう。僕も5か月くらいずっと焦っていました。
うつであることを認めたくなくて焦りました。
寝れなくて焦りました。
涙が止まらない自分に焦りました。
人と話すと背中に激痛が走る自分に焦りました。
病気休暇になってからは、早く県庁に戻らなくてはと思い焦りました。
休職処分になりたくなくて焦りました。
市役所に戻されたくなくて焦りました。
昇進試験を受けたくて焦りました。
給料が減ることに焦りました。
うつだと周囲にばれることに焦りました。
なんで回復しないんだ…と焦りました。
※市の規則で病気休暇は3か月、それ以降は休職発令(分限処分)になり、昇進試験受験資格の喪失、給料の減額、外部団体への異動が解消となる。異動解消となると市職員に周知される。
主治医や心理士、課長からも焦らなくていいと言われていましたが、僕は焦ることを止めることができませんでした。だってうつが早く治らないと、自分の避けたいことが現実になってしまうんだから。
でも結局、全部くらって現実になりました。
休職になり、市役所に戻され、昇進試験も受けれず、給料も減り、異動解消が周知されることが決まってしまった日。
終わった…ではなかったんですね。逆に始まった。
焦りの対象が消えて、焦りが消えていきました。そしたら徐々に回復していきました。
心理士からも、うつは焦りがなくなったときに回復してくると言われていました。
本当でした。
焦りの対象が、焦らなくても良かったことに気づいたような感覚でした。
焦って避けようとしていたことはそこまで重要ではなかった。
うつになると怖くて怖くてたまらない。治らないと自分の考えるマイナスが実現してしまうから。でも自分の考えるマイナスはそこまでマイナスではない。病気になると正常な判断ができずにマイナスに考えすぎる。現実になったら終わると考える。
でも現実になっても大丈夫でした。現実にならない方がいいのかもしれないけど、ならない方がいいなんて誰が決めたのか。長い人生で考えたらくらっておいた方がいいかもしれない。
回復してそんな風に考えられるようになりました。
だから焦らなくても「大丈夫」。なかなか焦りがなくならなくても結果「大丈夫」です。
困っている人の参考になれば幸いです。
親に口答えしないことを美学だと教えられてきた
僕の父親は頑固おやじ。母はそんな父を絶対的に信頼していました。
ことあるごとに「お父さんは正しい」と僕と妹は言われました。
「お父さんに口答えしたことがない」と母は僕たちに誇らしげに言っていました。
小さいころからそうだったので、どんな理不尽なことであっても、父に口答えをした記憶はありません。言い訳もありません。
口答えや言い訳をしたところで、父に殴られ、母には「お父さんに口答えするなんて!」と言われるのが分かっていたからです。おそらく、物心つく前にそんな経験があったんでしょうね。
ただ、母は毎日酒を飲みました。毎日ビール6缶。大人はこれが普通だと小さいときは思っていたけど、ストレス溜まってたんでしょうね。母も父に口答えできなかった。だからそれを正当化するためにお父さんは正しいと思うしかなかったのかもしれません。
僕と妹。同じように育てられましたが、男女の違いか、妹に対する暴言や暴力はありませんでした。僕は何かと長男・男だからという価値観から負担を強いられてきました。
なので妹は両親のことが大好きです。僕は感謝はありますが、好きでも嫌いでもありません。あまり深くは関わりたくない、そんな感じです。
妹は父とよく似た人と結婚しました。口答えはできないようです。妹も母と似たのかもしれません。ただ、旦那の前では酒が飲めないらしく、週末は実家に帰ってきては浴びるように酒を飲んでいます。ストレスが溜まっているようです。
僕の妻は出会ったときは超天然でした。でも実は超天然を作っていたことを、結婚してから知りました。本当は超現実派の姉御肌でした。その本性は実親や会社、友人の前でも100%出せないようで、本性を小出しにしながら超天然感を使いこなし、うまく立ち回っているようです。
そんな性格の妻なので、言いたいことを言ってきます。そして僕も言いたいことを言います。お互いに正しいと思うことを。ただ夫婦は対等で男女の差別もなく人として尊重しているという前提があるので、喧嘩になりません。。
それがとても居心地がいいのです。
なので、子供も人として尊重するように決めています。子供だって子供なりの正しさをもって生きているんだから。
だからうちの子は親に何を言ってもOKにしています。
お父さんが正しいかもしれないし正しくないかもしれない。あなたの考えを聞いてからお互い考えよっか。って感じですかね。
そうやって、自分も育ちたかったなと思います。
親が正しいなんて誰が決めたんでしょうね。
朝の風景を見て思う~日本人すごい~
今日は休みをもらいました。正規復帰する前に身辺の整理をしたいので。
ただ、休みの日でも普段のペースを崩したくないので、朝はいつもと同じ6時30分に起きて30分で支度して、喫茶店に車で行くことにしたんですね。
その喫茶店は駅から離れているところにあるんですけど、車を走らせている道中、歩道にはたくさんの人たちがいて、足早に駅に向かっていくんですよ。
外はすごく寒い。それでも、おじさんも中高生も子どもも足早に。まだ7時ですよ。
日が昇って15分くらいしか経ってないよ。
いつも自分もやってるけど、俯瞰してみるとすごいなって思いました。
自己肯定感の向上のヒントは、いつも自分がやっている当たり前を俯瞰してみてみることかもしれませんね。
金曜ロードショー「カイジ」をみて思うこと~見た目が大人の子どもたち~
藤原達也まじかっこいい。
ってだけではなくて、金曜ロードショーでやっていた「カイジ」を見ました。
昔学生のときに見たことがあったので、あっ懐かしいのやっているのなって感じです。
昔見たときは、エンターテイメントとして面白いと思ったくらいでした。
ただ今回見てて結構響いたシーンがあったんですね。
それは主人公のカイジを含めた借金まみれの人たちが、金を返すために船に集められて、これから人生をかけたゲームをしてもらうと悪者から説明をうけたとき。
やることだけ説明をうけて、失敗したらどうなるかとか説明がなくて参加者が紛糾するんです。「説明しろー!俺達には知る権利があるー!」って。
そしたら悪者が「ファッキュー!!」って叫ぶんです。ここは笑いましたが。
そのあとこんな感じのことを言うんです。
「質問したら答えが返ってくるのが当たり前か。求めれば周りが世話を焼いてくる。そんな風にまだ考えているお前らは見た目が大人の子どもなんだよ」
これって僕にも一部当てはまるなっと思いました。質問したら答えが返ってくるのが当たり前とは思っていなかったけど、心のどこかで回り(上司・先輩)が世話を焼いてくれると思っていたのかもしれないって。要は自分の行動を自分で決めきれない人間だったんです。誰か助けてくれる。誰か責任をとってくれる。
だから見た目が大人の子ども。ギャンブルもたばこもやらないし、酒もほとんどやらない、借金も住宅ローンと奨学金以外はない、カイジに出てくる登場人物とは違う一見まともそうに見える自分も、気質は同じだったんだなって。
最後その悪者が藤原達也に負けて、追放されるとき。SPみたいな人に羽交い絞めにされて連れてかれそうになるんのですが、言うんです。
「自分で行く」
かっこいいなと思いましたよ。どんなことでも自分で決める。
人に言われたときに、言われたからやるのか自分で決めてやるのか。そこが大事なのかなって改めて思いました。最新作見に行ってみようかなー。
うつから復活するためのエネルギーをくれるのは「人」
前回、うつになったらパラダイムシフトレベルで価値観を変える必要があると書きました。その前にも変化することについては何度か私見を書いています。
変わる必要があるのか、無いのかは人それぞれ考えがあるので、答えはありません。ただ僕は変わったことで、変わる勇気をもつことで幸せに近づけた気がします。
ただ変わって復活するにも、そのまま復活するにも、エネルギーが必要ですよね。
うつは薬を飲んで職場から離れ、睡眠がとれてくると、確実によくなってきますが、そこからどうするのか、どう復活するのかを考えたときにそこには莫大なエネルギーが必要です。
ただうつになると弱っているのでそのエネルギーがなかなか自分の中からは沸いてきません。
だからそのエネルギーは人からもらうしかないかなと思います。
なんでもいいんです。大切な友達、本、ブログ。人と関われるものに触れる。
個人的な経験としては、一番エネルギーをもらえたのは人と会って話したことです。
ただ困ったことに、うつになると人に会うことすら嫌になって自分から人を避けてしまいます。
嫌われるかもしれないって考えちゃってね。迷惑かなとか。
でも勇気をふりしぼって人に会うことで、たくさんのエネルギーをもらうことができました。人と会ったあと、会わない方が良かったと思ったことはありませんでした。
自分がうつになったあと、どう復活するかは人の自由ですが、必要なエネルギーの量が違う気がします。
人のせいにして復活する→エネルギー小
そのまま復活する→エネルギー中
変わって復活する→エネルギー大
僕は幸いにも今までの自分を受け入れて変われるくらいのエネルギーを人からもらうことができました。
僕は決して友達が多いわけではありません。だから本からも、うつだった方が書いたブログからも、たくさんのエネルギーをもらいました。このブログも、少しでも苦しんでいる人のエネルギーになればと思って書いています。
僕がもらったエネルギーはこれからの人生で必ず返します。利息をつけてね。
人はそうやって支えあって生きてるのかもしれませんね。
「情けは人の為ならず」です。
うつ状態からのパラダイムシフト
パラダイムシフトは固定化した価値観が劇的に、革命的に変わることです。
うつになったら、パラダイムシフトが必要じゃないかなって思っています。
今まで生きていた価値観ってありますよね。それが無理して限界になったときに、うつになってしまうのかなと、今は思います。
僕の一番のパラダイムシフトは「人に好かれなくてもいい」ということです。
「人に好かれるべきだ」にずっと縛られていたために、自分をないがしろにして人に尽くし、上司の要望に根性で答え続け、人の期待を背負いすぎ、いつのまにか自分を見失って自分の本音が何なのか、自分の生きている意味が何なのか分からなくなっていました。
そして自分を縛っていた「人に好かれるべき」が自分の偏った思考だと本気で気づいたとき、何が幸せかを本気で考え、行動できるようになりました。
そして、やっぱり仕事も大事だけどまずは自分自身を大切にしようと思えるようになったし、仕事をこなしながら幸せに暮らすために思考法や仕事管理術を本気で勉強しようと思えるようになったんです。
人付き合いも本当に信頼できる人達に絞って大切にしようと思えるようになり、人に対して自分の意見を言うことに抵抗がなくなってきました。
病気になる前もうすうす感じていたけど、危機的状況じゃなかったら目を背けてきたんですよね。
それがうつになり、死ぬかもしれない危機状況になったときに変わる必要が否応なくできた。結果として、うつになって生きるのが少し楽になりました。
ただ価値観がパラダイムシフトレベルで変わるのにすごくエネルギーがいりました。次回はエネルギーの話をしたいと思います。