誰が決めたの?
メンタル絶不調のときに心理士さんとの面談で言われた言葉です。
心理士さんとの面談で職場での出来事を振り返っているときのこと。
僕は会社の先輩がかなり威圧的な性格だったのですが、文句があっても先輩には逆らってはいけないと思っていたのと、上司に相談するのも悪口になってしまうと思ってできなかったと話しました。話しながら思い出してしまって僕は泣いていました。
そしたら心理士さんが
「それ、誰が決めたの?」と言いました。
僕は上下関係があるから逆らってはいけないし、人の悪口は言ってはいけないものだからと言いました。
そしたら心理士さんに軽く切れられました。なかなか激しい人なんです
「上下関係あっても行き過ぎた指導やパワハラまがいのものは従う必要がないし、いくら先輩だからって納得いかないものは言っていいじゃない。上司が悪口か捉えるかも分からないのに決めつける必要はないし、そもそも悪口言ってもいいじゃない。実際自分から見たら悪いことされてるんだから!」
思わずそのときすいませんって言ってしまいましたが、結局僕は自分の中で勝手に決めていた「〜するべき」に囚われていたことに気づきました。
その面談から今に至るまで色々な自分の「〜するべき」に対して、それは誰が決めたのかを考えるようにしています。
例えばメンタル不調になった県庁にもどるべきか?
僕は休んでからずっと元いた場所にもどるべきだと思ってました。それは市役所からの期待もあったし、途中で抜け出してしまって申し訳なかったし、市役所に戻ったら情けないし…。
でもこれ全部、誰が決めたの?って言われたら自分が決めつけてるんですよね。人の期待ばかりに答えても疲れるだけだし、休んだのは環境要因も原因があるし、市役所に戻ったら情けないって自分で思ってるだけで周りがどう思うかなんて分からないし。
普通に考えて身体を大切にするなら市役所の方が得策ですよね。
家族関係もそうです。両親は尊敬するべきだ。大切にするべきだ。両親の言うことは聞くべきだ。
昔から高圧的に育てられてそういう思想になってしまったのか、今まで何も反抗してこなかったし、両親の期待する子供を演じていました。楽しそうな顔して。
でもこれも決めつけですよね。別に両親に逆らっても、期待されない人生を送っても、親から嫌われたとしても、何も言えないままストレスに埋もれて死ぬよりは全然良いですよね。
だから今ははっきり意見を伝えるようにしています。
こんな感じで、自分の考え一つ一つに「それ、誰が決めたの?」と自問することで考えの偏りが修正されているような気がしますし、自分の幸せをに繋がる方向を選べるようになっている気がします。今の方が生きるのがラクになりました。
さすがに日本の法律で決まってるものは守るべきだとは思いますけどね