朝の風景を見て思う~日本人すごい~
今日は休みをもらいました。正規復帰する前に身辺の整理をしたいので。
ただ、休みの日でも普段のペースを崩したくないので、朝はいつもと同じ6時30分に起きて30分で支度して、喫茶店に車で行くことにしたんですね。
その喫茶店は駅から離れているところにあるんですけど、車を走らせている道中、歩道にはたくさんの人たちがいて、足早に駅に向かっていくんですよ。
外はすごく寒い。それでも、おじさんも中高生も子どもも足早に。まだ7時ですよ。
日が昇って15分くらいしか経ってないよ。
いつも自分もやってるけど、俯瞰してみるとすごいなって思いました。
自己肯定感の向上のヒントは、いつも自分がやっている当たり前を俯瞰してみてみることかもしれませんね。
金曜ロードショー「カイジ」をみて思うこと~見た目が大人の子どもたち~
藤原達也まじかっこいい。
ってだけではなくて、金曜ロードショーでやっていた「カイジ」を見ました。
昔学生のときに見たことがあったので、あっ懐かしいのやっているのなって感じです。
昔見たときは、エンターテイメントとして面白いと思ったくらいでした。
ただ今回見てて結構響いたシーンがあったんですね。
それは主人公のカイジを含めた借金まみれの人たちが、金を返すために船に集められて、これから人生をかけたゲームをしてもらうと悪者から説明をうけたとき。
やることだけ説明をうけて、失敗したらどうなるかとか説明がなくて参加者が紛糾するんです。「説明しろー!俺達には知る権利があるー!」って。
そしたら悪者が「ファッキュー!!」って叫ぶんです。ここは笑いましたが。
そのあとこんな感じのことを言うんです。
「質問したら答えが返ってくるのが当たり前か。求めれば周りが世話を焼いてくる。そんな風にまだ考えているお前らは見た目が大人の子どもなんだよ」
これって僕にも一部当てはまるなっと思いました。質問したら答えが返ってくるのが当たり前とは思っていなかったけど、心のどこかで回り(上司・先輩)が世話を焼いてくれると思っていたのかもしれないって。要は自分の行動を自分で決めきれない人間だったんです。誰か助けてくれる。誰か責任をとってくれる。
だから見た目が大人の子ども。ギャンブルもたばこもやらないし、酒もほとんどやらない、借金も住宅ローンと奨学金以外はない、カイジに出てくる登場人物とは違う一見まともそうに見える自分も、気質は同じだったんだなって。
最後その悪者が藤原達也に負けて、追放されるとき。SPみたいな人に羽交い絞めにされて連れてかれそうになるんのですが、言うんです。
「自分で行く」
かっこいいなと思いましたよ。どんなことでも自分で決める。
人に言われたときに、言われたからやるのか自分で決めてやるのか。そこが大事なのかなって改めて思いました。最新作見に行ってみようかなー。
うつから復活するためのエネルギーをくれるのは「人」
前回、うつになったらパラダイムシフトレベルで価値観を変える必要があると書きました。その前にも変化することについては何度か私見を書いています。
変わる必要があるのか、無いのかは人それぞれ考えがあるので、答えはありません。ただ僕は変わったことで、変わる勇気をもつことで幸せに近づけた気がします。
ただ変わって復活するにも、そのまま復活するにも、エネルギーが必要ですよね。
うつは薬を飲んで職場から離れ、睡眠がとれてくると、確実によくなってきますが、そこからどうするのか、どう復活するのかを考えたときにそこには莫大なエネルギーが必要です。
ただうつになると弱っているのでそのエネルギーがなかなか自分の中からは沸いてきません。
だからそのエネルギーは人からもらうしかないかなと思います。
なんでもいいんです。大切な友達、本、ブログ。人と関われるものに触れる。
個人的な経験としては、一番エネルギーをもらえたのは人と会って話したことです。
ただ困ったことに、うつになると人に会うことすら嫌になって自分から人を避けてしまいます。
嫌われるかもしれないって考えちゃってね。迷惑かなとか。
でも勇気をふりしぼって人に会うことで、たくさんのエネルギーをもらうことができました。人と会ったあと、会わない方が良かったと思ったことはありませんでした。
自分がうつになったあと、どう復活するかは人の自由ですが、必要なエネルギーの量が違う気がします。
人のせいにして復活する→エネルギー小
そのまま復活する→エネルギー中
変わって復活する→エネルギー大
僕は幸いにも今までの自分を受け入れて変われるくらいのエネルギーを人からもらうことができました。
僕は決して友達が多いわけではありません。だから本からも、うつだった方が書いたブログからも、たくさんのエネルギーをもらいました。このブログも、少しでも苦しんでいる人のエネルギーになればと思って書いています。
僕がもらったエネルギーはこれからの人生で必ず返します。利息をつけてね。
人はそうやって支えあって生きてるのかもしれませんね。
「情けは人の為ならず」です。
うつ状態からのパラダイムシフト
パラダイムシフトは固定化した価値観が劇的に、革命的に変わることです。
うつになったら、パラダイムシフトが必要じゃないかなって思っています。
今まで生きていた価値観ってありますよね。それが無理して限界になったときに、うつになってしまうのかなと、今は思います。
僕の一番のパラダイムシフトは「人に好かれなくてもいい」ということです。
「人に好かれるべきだ」にずっと縛られていたために、自分をないがしろにして人に尽くし、上司の要望に根性で答え続け、人の期待を背負いすぎ、いつのまにか自分を見失って自分の本音が何なのか、自分の生きている意味が何なのか分からなくなっていました。
そして自分を縛っていた「人に好かれるべき」が自分の偏った思考だと本気で気づいたとき、何が幸せかを本気で考え、行動できるようになりました。
そして、やっぱり仕事も大事だけどまずは自分自身を大切にしようと思えるようになったし、仕事をこなしながら幸せに暮らすために思考法や仕事管理術を本気で勉強しようと思えるようになったんです。
人付き合いも本当に信頼できる人達に絞って大切にしようと思えるようになり、人に対して自分の意見を言うことに抵抗がなくなってきました。
病気になる前もうすうす感じていたけど、危機的状況じゃなかったら目を背けてきたんですよね。
それがうつになり、死ぬかもしれない危機状況になったときに変わる必要が否応なくできた。結果として、うつになって生きるのが少し楽になりました。
ただ価値観がパラダイムシフトレベルで変わるのにすごくエネルギーがいりました。次回はエネルギーの話をしたいと思います。
復帰訓練7週間~皆勤賞~
復帰訓練が終わりました。7週間。正月休みがあったから期間としては2か月くらいですかね。
復帰に必要な出勤日数というのがあります。8割だったかな。
僕は皆勤賞です。
あとは復帰できるかどうか。主治医、産業医、人事課の意見を踏まえ任命権者により決定となります。結果がでるのは1週間後です。
主治医の先生もOKを出してくれたので復帰できると信じています。
訓練は終わったので復帰の判断がでるまで会社に行かなくてもいいのですが、自主的に通うことにしました。一度社会人にもどったペースを崩したくないですしね。
訓練中はほとんど仕事がありませんでした。会社に来れるのか、席に座っていれるのかを見てますからね。だからやることは簡単な雑務以外は基本自由。
最初は恥ずかしかったです。みんな忙しそうにしてるのに僕だけ何してんだろうって。
でも1週間くらいたってから、こんな自由な時間ないやんって前向きに考えられるようになったんですね。人からどう思われるかが気になんなくなったからかもしれません。
僕の職場は「回覧」という形で色々な書籍が席に回ってきます。参考図書です。だいたいみんな忙しかったり、めんどくさかったりしてハンコだけ押して回ってきます。
その回覧で回ってくる参考図書の面白いこと。マネジメント、思考方法、リーダーシップ論、ストレスマネジメントなど内容は様々。めちゃくちゃ勉強になります。
こんな使える知識を知らずに会社で戦っていたのだと思うと怖くなりました。そりゃ県庁でうつになるわと。
だから今は会社に着いて8時間。ずっと参考図書を読んでます。異様ですよね。
でも僕にとってこの毎日8時間×35日、計280時間の読書量は自分にとっての人生の糧になりました。
人は捉え方で休職中だろうが復帰訓練だろうが、楽しむことができる。
そんなことに気づけた、人生にとって大事な期間になったかもしれません。
メンタル不調を正当化する人は気分が悪い
人は変化していかなかければ、滅亡する
昔は変化が嫌いでした。変化にはリスクが伴いますしエネルギーを使いますからね。
ただ最近「137億年の物語」という本を読んで思いました。この本は宇宙が始まってから現代までを時系列に書いている超分厚い、超読む気をなくす本です。でも意を決して読むと面白いです。
当たり前の話ですが、今の人類が誕生するまで生物は生まれては、絶滅を繰り返し、進化(変化)ができたものだけが生き残ってきてるんですよね。
そして、人類が誕生するまでの歴史をみると大きく繁栄した生物は絶滅してるんですよね。生物の天下をとると、変化をさぼってあぐらをかいてしまうのかもしれません。
そういう歴史を鑑みると、人は変化しないと生き残れないのかなと思いました。要は変化は生きるために必要。幸せに生きるためにね。
幸せを感じられないと死にたくなりますもんね。
あとは絶滅の歴史を読んでいると「人類も明日隕石が落ちて滅亡するかもしれないやん」って思えるようになって、だったら細かいこと気にしないで今生きていることに感謝して、なるべく幸せに生きられるように行動しようと思えるようになりました。
ちょっと浅はかですかね。
お酒が好きではないことに30歳過ぎて気付く
僕の両親はお酒が好きです。毎日飲んでいました。
なので子供のころから、大人は毎日お酒を飲んでるけど、それが大人ってもんなんだなーと思っていました。
大学になってからお酒を飲み始め、ワイワイ騒いだり、会社に入っても人脈を広げるために飲み会を開いたり。
でも最近気づいたんですよね。僕は酒が好きじゃない。
お酒が好きな人って毎日飲みますよね。休肝日という言葉があるくらいですからね。
僕の周りの友人も、会社終わりのビールが唯一の楽しみとか、毎日のストロングゼロが日課になっているとか聞くんです。
でも僕は家でひとりで飲むことがないんです。家族で外食に行ってもお酒を飲むことがありません。飲むのは飲み会の時だけです。
たしかにお酒を飲むと気分が高揚しますが、次の日の二日酔いを考えると飲む気がなくなってしまうんですよね。
いままで無理して「お酒好きなキャラ」を演じていたような気がします。それの方がみんなが喜びそうですからね。
あとお酒が好きな人ってかっこいいじゃないですか(思い込み?)
そして飲み会自体も好きな訳ではありませんでした。僕が好きだったのは「信頼できる人と飲みの会でお喋りすること」でした。
最近職場に復帰して、新しい職場になってからあなたは飲むの?ってよく聞かれます。
昔だったら「好きですよ。飲み会いきたいですね」と答えていたと思います。
今は「普段は飲みません。飲み会のときだけですかね」と伝えています。
僕のルールは
「お酒は信頼できる人の前でしか飲まない」
幸せとストレスフリーのために、自分にとってはたぶんこれが良いかな。
両親の僕の育て方
男は仕事を頑張らなくてはならない。弱音を吐いてはいけない。何がなんでもやりとげなくてはならない。家族のために自分を犠牲にしなくてはならない。
父親はそういうタイプでした。僕も同じような価値観を病気になるまで持っていました。影響ですね。
でもこの価値観は僕にとっては人に「付与」された価値観であって、自分にとっては長年かなりストレスが溜まっていたんですね。
父を否定するわけではありません。父は仕事を全力で頑張ることが家族を養うことだと信じていました。でも父には友達がいません。家族第一だからですかね。趣味も昔はテニスをしていたみたいですが、ほとんど見たことがありません。それくらい仕事が忙しかったんだと思います。
母は専業主婦で、家に帰ったときにいつもいることが子供の安心につながると思っている人でした。基本は優しい母ですが、ワンオペ育児で、父は仕事でかえってこない。私と妹と常に一緒にいるという状況では、やはりヒス気味でした。
身を粉にして自分を育ててくれた父と母には感謝しています。
ただ、大人ってこういうものなんだと子供ながらに思っていった記憶があります。
大人って楽しそうじゃないなって。
そして教育方針で体罰がありました。何か失敗をすると、罰として否応なしに叩かれました。大人としての権力をふりかざしてきました。
こんな家庭環境で僕は大人、権力者に対しての「恐怖」が植え込まれ、怒られないように「良い子」を演じるようになりました。よく優しいと言われました。
僕は銀行マンになり、転職して公務員になり、父母は酔うと自分たちの育て方を正当化する発言をよく言いました。
僕もいま子育てをしています。
病気になるまでは違和感を感じながらも父と母の教育方針を否定したくなかった。今の価値観を付与されたといっても、最終的には自分で受け入れていましたからね。
でもやっぱり色々考えて、僕の父と母のやり方は僕にとっては幸せではないと思いました。子供がいても友達とも仲良く過ごしたいし、妻にも好きなことをしてもらいたい。そして子供には本能を隠さずに抑圧されないで欲しい。
そして子供には大人は楽しいと思ってもらいたい。
だからうちの家族方針は2つです。
「家族全員が好きなことをする」
「子供を尊重し上下関係を作らない」
先日書道家の武田双雲さんが息子とテレビに出ていて、二人の雰囲気がとても自然体でびっくりしました。緊張感がないんですね。そしたら武田さんがいいことを言っていました。
「子供のことを尊敬できる友人だと思っている」
素晴らしいなって思いました。
僕は自分の両親のことを尊敬はしていませんが、とても感謝してます。僕を育ててくれました。もちろんうつになった原因も両親だとは思っていません。そんな生き方を選んでしまった自分の責任です。
ただ、これからの僕は自分のやり方で、自分も家族も幸せになろうと思っています。
なんで人の顔色評価ばかり気にしていたのか最近分かった
みんなに好かれたい。仕事ができると思われたい。できる人だと思われたい。信頼されたい。良い人だと思われたい…。
僕は病気になる前、生きる目的のフォーカスを「他人」にあてていました。原因は家庭環境とか学生時代のトラウマとか自分の性格とか色々あると思います。
でもなんでそういう風に生きてきたのか最近分かった気がします。
それは「自分の人生の責任を他人にとってもらうため」です。
何かあったときに誰かのせいしたかった、守ってほしかったんですね。要は責任転嫁です。レイはよく頑張っているから悪くないよって言ってくれる人を増やしたかったんです。
今は自分の人生の責任を自分でとる覚悟ができた気がします。30過ぎて結婚もして何言ってんだと思われるかもしれませんが、やっと自立できた気分です。
うつになったら自分を変える必要があるのか
僕は「ある」と思っています。人間関係に起因するうつは「ある」。
でも今までの自分を否定するわけではありません。僕の考え抜いた答えは、今までの自分を受け入れてから変わる。
追い込まれてうつになると2つの感情がでてくる気がします。それは他責と自責。
他責は自分をうつに追い込んだあいつを恨みます。あいつがいなければ俺は元気だったのに。
でも「あいつ」も「そいつ」も世の中にはたくさんいます。辛いけど「あいつ」や「そいつ」につけこまれる自分にも責任があるのです。
そして自責。なんて自分は弱い人間なんだ。生きてる価値はあるのか。社会に適応できない自分なんて消えてなくなりたい。
休んだ当初僕は自責の念が強く、自分を無価値な存在だと決めつけて沈んでいきました。
そのあと薬が効き始め、睡眠が安定してきて少し回復してくると、他責を考えました。あいつがいなければ。なんで誰も助けてくれなかったんだ。
この自責と他責を繰り返していきました。
そしてある程度冷静になったときに2つの思考にいきつき、どれを選ぶべきかを考えました。
①すべてあいつのせいにして自分を正当化して生きる
②今までの自分を否定して新しい自分として生まれ変わる
①を選ぶ方が結構多いような気がします。特に症状が軽い方ですぐに会社に復帰できた人です。なので認知行動療法を学んだりもしていません。この思考の方と話しましたが、うつに追い込んだ人の悪口ばかりでした。自分はやり切ったという思いが強く、話しててしんどかったです。
僕はこのパターンが次に同じ状況に追い込まれたときにもっとヤバイ状態で再発するような気がします。
次に②。僕は②を選びそうでした。今までの自分はクソ。だから生まれ変わる。
でも30数年生きてきた自分を簡単に否定なんてできません。今までの人生無意味だったのか。どうして無意味なのか。この思考のせいだ。だれがそうした。親か。学生時代のイジメか…とまた他責に戻っていきます。
だから変わる気力が生まれない。そしてそんな自分はどうせ変われるはずがないと。
ただ考えていく中で、僕を思ってくれている友人や妻、子がいることに気づいていきました。こんな僕でも好きだといってくれる人がいたじゃないか。
そしたら③の選択肢が浮かんできました。
③今までの自分を受け入れた上で新しい自分に生まれ変わる。
今までの自分はたしかに生きづらさを感じながら、他人の評価ばかり気にして生きてきたけど、それでも好きといってくれる人達もいたし、辛いなりにここまで頑張ってきたじゃんかと。
そして今までの自分に「おつかれさま」を言えるような気持ちになったんです。
だから僕の答えは③。今までの自分に感謝して、受け入れて、新しい自分に生まれ変わる。
そう思えるようになってから、友人や妻子をより大切に思えるようになり、会社や人間関係にストレスを感じにくくなり、新しいことに挑戦できるようになり、少し肩の力が抜けて楽に生きれるようになった気がします。
あくまでも僕の出した答えです。色々な答えがあると思うので、ひとつの想いとして参考にしていただければ幸いです。
潰れないために自分を働き方改革する
政府が進めている働き方改革。その中で残業代の青天井をなくすというものがあります。どんなに忙しくても100時間以上の残業は法律違反になる。
働き方改革自体はいい取り組みかもしれません。でも実態は労働者の働きやすさの改善に繋がらないケースがあると思います。
僕がいた県庁では4~6月は毎年残業100時間オーバーが状態化していました。そこに僕が異動になったと同時に働き方改革で残業100時間以上は違反となりました。もちろん人は増えません。そしてどうなったか。
100時間を超える残業は無申告です。人も増えず、仕事も増えずではそうなります。その結果もらえるはずの残業代がもらえずモチベは下がる。上司からは早く帰れと急かされる。できない自分を責める。ストレスが溜まるという悪循環です。
自治体は動きが遅いです。組織も大きいですし、関係各所の調整が多いですしね。なのでどうしても法律を適用させることを優先せざるを得ない。
政府の働き方改革自体を批判するつもりは毛頭ないですが、一番重要なのは個人が働き方を変える必要があるのかなということです。
早く帰れる時間管理法を身に着ける。無理なものは無理という心の強さをもつ。心のバランスを保てるストレスマネジメントを行う。業務を効率化する思考法を身に着ける。上司との報連相を短縮できるコミュニケーション方法を身に着ける…。
大きな流れに身を任せるだけでは潰れることが今回の経験で身に沁みました。自分を守れるのは自分だけです。自分を守るために「自分自身を働き方改革する」ことが重要だと感じています。
ダイエット商品の不誠実さについて
年が明けると、やたらテレビやCMでダイエット特集が組まれますよね。長期休みで体重が増えてしまった方に対するアプローチです。
体重の悩みって大きいですよね。うつになると体重が増えたり減ったりして、それがまた元気をなくすきっかけになったりもしますし。
ニュースアプリやyoutubeなどでもしょっちゅう広告がはいります。
ただ、ダイエット系の特にサプリの広告は、人の不安を煽ったり、過度に期待させる不誠実な広告が多いような気がします。特に「HMB」というサプリの広告。プロテインの何倍もの効果があって、痩せる効果があるというものです。
僕は本格的にトレーニングをしていたので、サプリについては詳しいですし、減量、増量についても知識と実績があります。その中で思うこと。
①飲むだけで痩せるはありえない
運動や食事制限と同時に行うことで、効果を促進することはあるかもしれませんが、飲むだけはありえない。そして、促進の度合いも「びっくりするほど」というのはないと思います。ラーメンの写真を載せながら何を食べても大丈夫とか、嫌いな運動をしなくても大丈夫、これを飲めば痩せる。ありえない。ちなみにアメリカの研究データで運動をしなくてもサプリを飲んで効果があったとかよく紹介されますが、実験対象の体重が100キロ以上の肥満であることが多かったり、食事制限も併用していることがほとんどです。そこは広告では伝えませんが。
②高すぎる
たぶん広告料と利益をかなりのせてるのだと思います。基本的にサプリの成分はどの商品を買っても変わりません。うちの商品はHMBのほかに減量を促進する成分をさらに配合!独自ブレンド!とか言いますが、ただ混ぜているだけです。しかもちょっとだけ。だいたいが単品で買った方が安いです。
本当ひどいもんだと思います。特に特に特に。ある俳優さんが広告塔のHMB。筋肉の美しさを競う大会にも出ている人です。広告では俳優さんの「太っている写真」と「腹筋がバキバキ」になっている写真を並べて、HMBを飲んで短期間でこうなりましたと紹介しています。
知らない人が多いと思いますが、太っているときは大会前の増量期の写真です。
ボディビルでは身体を大きくするために大会前のオフシーズンは増量する人が多いのです。筋肉も脂肪も増えてしまうので、結果太ってみえます。そのあと大会までに脂肪だけを削っていく。
要はもともとマッチョで痩せている人が、大会で勝つために「わざと」太らせてから痩せるのです。
もちろん大会前までには過酷な減量をします。サプリだけ飲んでなんてありえません。
その前後の写真を使って、太ってる人が痩せたって表現するって不誠実すぎる。
もちろん俳優さんの身体自体は努力あっての美しい身体です。努力する姿が好きで毎日ブログを見ていた時期もあります。でもお金が絡むと変わってしまうのかな。
プライベートも仕事も誠実でありたいですね。