病院選びは慎重に
というのも僕が病院選びで失敗したからです。
僕は主治医の先生に対して理解できないことがたくさんあります。何を言っているか分からない、診断の根拠もよくわからない、薬の説明がない、何も覚えていない、会社とのやりとりをしっかりやってくれない…。
唯一良かったのは診断書を迅速に出してくれたことくらいです。会社の産業医の先生に処方されている薬を見せたら、これじゃ用量少なすぎると言われたこともあります。
それを伝えたら「じゃあ増やそう」って。お前なんやねん!って心で思いました。
でもこれはうつの状態が良くなってきて怒る気力がでてきた僕を試しているのか…と良い方向に考えようとしたこともあります笑
どうしても初めて病院に行くときは切羽詰まった状態です。運も悪く、僕が病院を探していた時期はGW明けの繁忙期でした。どこも予約でいっぱい。診断はどんなに早くても2週間後。
僕はそんな2週間も待っていたら死んでしまう!と思ってなんとか当日予約なしで入れるところに行きました。それが今の病院。
まぁでも予約なしで当日入れる意味が分かりました。
メンタル系の病院は一度通院すると病院を変えるのが大変です。基本的には紹介状が必要になります。また自分も正常な判断ができていない状態なので、医者が悪いのか自分が悪いのかもよく分からなくなっています。
今考えると、診断予約が少し先になったとしても、その間は有給を使って休むなどたくさん方法はあったと思います。
病院に行って診断書をもらわなければ休めないという僕の決めつけが招いた結果ですね。
何度も病院を変えようと思いましたが、今は自分も勉強して知識も付いたのでもういいやって思っています。また、僕の場合はセカンドオピニオンとまではいきませんが、主治医とは別に心理士の先生に相談できていたことが救いだったと感じています。
これから病院に行かれる方の参考になれば幸いです。
民間から公務員に転職したときの話
僕は新卒で入行した銀行を4年で退職し、1年間の予備校期間(無職)を経て公務員試験に合格し、市役所に転職しました。
その時のことを綴ります。
僕は営業マンで毎日数字に追われていました。商品力も弱く非常に難しい商品でした。もうほとんど泣き落とし。お客さんの前で土下座したこともあります。それくらい上司から詰められる毎日でした。
きつかったです。4年間楽しかったことなんて一日もありません。銀行の上司は「うちは楽な方だよ。うちで通用しなかったらどこでも駄目だよ」と良く言っていました。今考えると辞めさせないための洗脳ですね。
ただ銀行は世間体もよく、両親も喜んでいたため、疑問に思いつつも退職する気はありませんでした。
あの日までは。
ある課長に頼まれた仕事を、僕が時間が無くてできなかったことがありました。申し訳ないと謝罪しましたが、その日から僕に対する無視が始まりました。僕の起案も全く見ようとせず、その結果僕は仕事が進まなくて追い込まれていきます。
営業成績も落ち込んでいたため、焦りもありました。そして月末。ノルマは達成できず。銀行は毎月月末に飲み会を行う風習があります。
その際、その課長は先輩・後輩がいる飲み会の場で大声で僕を罵倒しました。
「お前なんて入社して1週間の職員以下だ」
「誰よりも劣っている」
そんなことを言われてもめげず、僕はどうしたら改善できるかと聞き続けましたが、
「お前に改善の余地はない。一生人にバカにされ続ける」と言い切りました。
そのとき僕の頭の中で何かが弾けました。そこから記憶が途切れています。
そのあとは、フラフラになりながら、泣きながら終電を逃してどこかの道を歩いている記憶だけが残っています。
そしてこんな会社辞めようと決意しました。ただもう営業はやりたくない。売りたくない商品を勧めたくない。
そこで、学生時代に一度諦めた公務員にチャレンジしようと思いました。年齢制限ギリギリのラストチャンス。しかも退職しての崖っぷち。結婚もしていました。
相当のリスクがありました。両親からは猛反対されました。本当に考えました。そして考え抜いた結論はシンプルです。
「もし失敗しても本当に後悔しないか」
落ちても家族を養わなければなりません。また営業をどこかの会社でやるしかないでしょう。営業でなくても、おそらくあまり条件が良い会社には転職できません。
それに公務員になっても死ぬほど辛い思いをするかもしれません(結果うつ病になったし)。
でもそれでもチャレンジしないよりは後悔しないことを確信し、退職しました。そして1年間勉強して転職しました。
今でも転職したことに後悔はありません。うつ病になってしまいましたが、あの会社にいるよりは全然良かったと思ってます。正直うつ病になるような働き方を刷り込まれたのが銀行かもしれないと思っているくらいです。
最悪を想定しても、今やらないより良いかというのが僕の転職に対する覚悟でした。っていうかどう考えても銀行が最悪でした笑
転職を考えている方のひとつの参考になれば幸いです。
砂糖は身体に悪い、白米はうつになる、プロテインは肝臓に悪い…じゃあ何をするのがいいの?
世の中、何が良い悪いの情報が溢れすぎな気がします。
結論僕が思うのは、その人が幸せならそれでいんじゃない?ってこと。
良いって言ってる人の言うことを100%聞く必要はなし。
科学的根拠も必要なし。
自分だけのオリジナルでよし。
なんか最近、今までの常識は間違ってたみたいなことをテレビでやるの流行ってますよね。半身浴30分より実は全身浴10分の方が身体に良いとか、寝る前のホットミルクよりも冷水の方がいいとか…。
こういうの見ると「またか」って思います。心臓までお湯に浸かると身体に悪いって言ってる医者いるじゃん。半身浴は美の秘訣って言ってるモデルいるじゃん。
例えば砂糖。砂糖は依存性があるとか害とか最近いいますよね。血糖値が急激に上がって、疲れがとれた気になるけど、その反動で血糖値が下がった時により疲れやすくなる。また血糖値の乱降下の結果太りやすくなる。
まぁ科学的にはそうなのかもしれない。
でも毎日甘いもの食べて幸せを感じてる人いますよね。夕方のニュースでもスイーツ特集しょっ中やってるし。
白米はうつになりやすいとも言われます。白米や小麦などの精製された白い糖質はうつになりやすく、糖質制限で身体をケトン体質にしてタンパク質だけで動ける身体にした方がいいんだそうです。
でも僕の周りにケトン体質な人なんていないし。そんなん米の生産者全員うつ病になっちゃうよ。
米がダメならどうすればいいのかというと、プロテインがいいそうです。手軽にタンパク質がとれるので、うつ消しに効果があるとのことです。
でもプロテインは肝臓に悪いっていう人もいます。タンパク質を早く大量に分解するのに肝臓に負担がかかるんですって。
どっちやねんって感じですよね。
ちなみに僕は5年前からプロテインを毎日飲んでいますが、肝臓の数値は毎年Aです。プロテイン飲んでたけどうつ病にはなりましたが…。
挙げ句の果てには1日1食が健康だって言う人もいます。でも僕の周りに1日1食の人なんていません。
もう何をどう食べればいいのか分からなくなりますよね笑
なんかこういうのも流行なんだと思います。確かに間違ったことは言ってないんだろうけど、それを生業にしてる人は絶対正しい、やるべきって言うよね。じゃないと自分は儲からないし。きっと効果がある人もいるのでしょう。でも合わない人もいるはずです。
僕は病気になる前から人の意見や情報に流されやすい性格でした。病気になった当初はますます酷くなって、情報に翻弄されてうつに良いもの健康に良いものを試しまくりました。
でも、結局は自分に合うかどうか、それで幸せかどうかだと今は思います。科学的根拠よりも何よりも、それで元気だったらいいじゃんって感じです。
大事な人をうつに追い込んだ「あいつ」も大事な人だったらどうする?
以前、「他責に終始しない」というブログを書きました。同じテーマでまた考えさせられる出来事がありました。
僕にはとても仲のいい同期がいます。プライベートでも家族ぐるみで仲良くしています。
その同期が最近休職しました。びっくりしました。話を聞いたところ、同じ職場の先輩から酷い言葉を言われたり、仕事を手伝ってもらえなかったりしたそうです。
でもその先輩とは以前僕も同じ部署で働いたことがあり、僕にとっては一緒に苦楽を共にした良き先輩でした。そして何よりもうつ病になった際に一番に相談して助けてもらった先輩でした。
僕にとっては2人とも大事な人ですが、その2人の関係性は最悪。
同期からは、その先輩がいかに酷い人間か話を聞きました。その先輩のせいで休職に追い込まれた。ひどすぎる。人としてどうかしてる。自分は被害者。
そうです。同期にとって先輩はうつに追い込んだ「あいつ」。でも僕にとっては恩人。
僕は大好きな同期の話を聞いても、100%先輩のせいだと思うことはできませんでした。
話を聞いて、自分の場合も当てはまると思いました。
僕をうつに追い込んだ「あいつ」を大事に思ってる人がいるということ。決して「あいつ」は全世界全人類から忌み嫌われているわけではないということ。
そうすると、やっぱり「あいつ」のせいって思ってるだけでは解決しないような気がします。
人生を生きやすいように自分も変わる必要がある。そう思いました。
もう12月か
早い。最近急に寒くなり、人々がセカセカ歩くようになり、どこのお店もセールをやってるのを見ると、今年も終わりかと感じます。
ぼくが会社に行けなくなったのは6月の終わり。すごく暑かった。すぐ回復すると思ってた。
でも結局夏は何もできなかったし、秋も不安でたくさんだった。親友の結婚式にも行けなかったな。家族でハワイ旅行に行く予定だったのもキャンセル。ただただ自分と向き合う日々。あっという間に過ぎました。
寒くなる頃には僕はどうなってるんだろうとよく考えました。
夏が終わるまでは、秋が終わるまでは、せめて年が明けるまでにはと考え続けました。
そして12月。年がそろそろ明けるけど、まだ治ってはいません。思いっきり休職して異動解消になって戻ってきました。
ただ6月の自分よりは元気です。
本当にきつい1年でした。
ただ、なんかよく分からないけど、今が僕の人生の正念場な気がします。
この大きな壁を乗り越えたい。
来年は今年よりはいい年になって欲しいなー。
幸せは流行みたい
良い大学を出て、良い会社に入って、結婚して、子供が生まれて、家を買って、定年まで勤めて老衰するのが幸せなのか。
それともお金持ちになって、たくさんの綺麗な女性と付き合って、社会的権力者になって、自分の好きなことをやりきって死ぬのが幸せなのか。
それとも生きているだけで幸せなのか。
なんか幸せって個人個人違うのに、生まれ育った環境や時代にかなり引っ張られるような気がします。
いまは自分を表現できるツールが増えて、それで稼げるようになりましたよね。YouTuberとかインスタグラマーの活躍を見ると、固定概念に囚われずに自分の好きなことをやるのが幸せって感じしますよね。ありのままの自分を活かすみたいなかんじでしょうか。
少し前だと、起業して成功してタワマンに住むのが幸せってのも流行りましたよね。
そう考えると、なんか幸せって流行みたいだなーって感じます。
僕の両親は、「安定こそ幸せ」って価値観が流行したときに僕を育てていたと思います。ちょうどバブルがはじけた後でしたしね。
大事なのは周りに引っ張られず、過去に囚われずに、自分の幸せを見つけることかもしれないですね。
病気になる前の僕は、既に幸せをだったことに気付かず、周りに引っ張られた幸せを追い求めていたような気がします。
10年後の幸せの流行はなんでしょうね
復帰訓練3週間〜目線が突き刺さる〜
何言われてもいいやって開き直って淡々と毎日、日々のタスクをこなしています。
午前中勤務だったのが、夕方までになりました。
その日はやることが難しくて疲れを感じていました。それに加えて集団で作業したり人と交わる機会が多かった。
ちょっと疲れてるなーと感じて廊下を歩いていたとき。
昔同じ部署にいた女性の先輩とすれ違いました。楽しく話したこともある人です。
僕は会釈をしたのですが、彼女の目は得体の知れないものを見るような目をしていました。
目線が突き刺さりました。あっやばいと思いました。
久々に退勤時間が待ち遠しかったです。
帰り道、肩と背中がガチガチになっていました。
帰りの電車で久々に不安感がやってきました。やっぱダメなのかとか、こんなんでへこたれるのかとか色々考えてしまう自分。
でもこれは、疲れてるからだと納得しました。昨日までは全然大丈夫だったじゃんと。そして疲れてるからそういう目線に見えたのかもしれないと。
そしたら少し楽になりました。底へ底へ落ちていかなくて良かった…。
このような思考に持っていけるのも、認知行動療法を学んだおかげかもしれません。
疲労は不安を持ってくることを実感しました。ただでさえ今は疲れやすいので、無理なく気をつけようと思います。
〇〇さん病んじゃったらしいよ
同じく県庁に異動になった先輩が退職したのを知りました。
病名は分からないけど、メンタル不調で音信不通になったらしい。仕事で一緒だったとき、結構話したことがありました。明るくて面白い人だったな。好きな女の子のタイプで盛り上がったな。今度飲み行こうねーって言ってたのに。
この話は、仲の良い後輩から「〇〇さん、病んじゃって音信不通になって退職したらしいですよ」と聞きました。
いやいや俺も病んじゃってるわって思ったけど笑
先輩は市役所に戻ることなく退職してしまいました。
なんとなく分かる気がしました。たぶんだけど、戻る自分が情けなくて、許せなくて、周りの目に耐えられないって。何言われるか怖くて。そんな感情がぐちゃぐちゃになって戻る選択肢を選べなかったのかもしれません。
現に「あの人病んじゃって」って言われてます。
でもたぶん僕も「県庁で病んじゃって、最近戻ってきたらしいよ」って言われてます。
何も知らない人は、「病んじゃって」の一言で終わってしまう。それが現実なんだね。
病気になったら何よりも休む・休む・休む
毎日いろいろ書きたいこと書いてます。うつに効果があったこととか、楽に生きるために役立ちそうなものなど。
ただ大事なことがありました。
それはうつ病の症状が底地のときや気分が大きく沈んでいるときは、無理をしないことです。とにかく休む・休む・休む。
病院に行って休暇に入った直後は、何もせずゆっくり休むべきだと思います。一日中寝たり、ぼーっとしたり。あとは好きだと思うことをやったり。
僕は早く治したいという焦りや家族への罪悪感があって、休暇直後からすぐに鬱に良いものを試したり、なるべく外に出たりし過ぎたせいで長引いてしまった気がします。
その結果は、良いというものを試したけど、効果がなかったり続けることができなかったりで凹む・焦るの悪循環。
何かをやりだすタイミングは、心の底からやりたい、やってみたいと思ったときだと思います。心理士さんからもそう言われました。
でも心の底からってのが難しんですよね。
病気になって初期の頃は自分の気分、気持ちさえ信じられなくなっていました。なにせ脳が正常に作動していないので。
だから本当はまだ動きたくないのに、焦りからくるやらなきゃを、心の底からと誤認して活動してしまいぶり返すということが多々ありました。
いま考えると、心の底からの意欲というのは、心の底からやりたいのかと考えることもなく疑うこともなく、取り組めるようなものなのだと思ってます。
もし僕のプログで紹介したものを試して、効果がなかったり、うまく続かなかったりしても決して凹んだりしないでください。
それは自分には合わないか、今はそれをやるべきじゃない時ということだけだと思うので。
それでは、今日もお疲れさまでした。
復帰訓練2週間〜今できることに集中〜
職場に戻って2週間が経ちました。日々淡々と過ごしています。
同僚とも徐々にコミニュケーションがとれてきました。良い職場だと感じています。
やることは相変わらず雑務、本の文字入力、計算ドリルなどです。
先日心理士さんと定期的な電話面談がありました。日々の話を報告し、順調とのことです。
心理士さんから質問されたことが印象的でした。
・時短勤務だけど帰るとき後ろめたさを感じていないか?
・人の目が気にならないか?
復帰時にはどうもこれらに心労を感じる方が多いそうです。たしかに分かる。すごく分かる。僕も初日は感じました。
でも今はあまり気にしていません。会社に戻るまでしっかり時間をかけて準備したのが良かったのかもしれません。
僕は今できることに集中しています。時短勤務で人の半分以下しか働いてないけど、みんな忙しそうだけど、今僕ができるのは時短勤務を無理なくやることです。
人の目もあるかもしれないけど、ドリルをやる僕に対してなんか言ってるかもしれないけど、今僕ができるのは体調を崩さずその日その日をやり切ることだけなのです。
「嫌われる勇気」に書いてあった、今ここに焦点をあてるという意味が最近分かった気がします。過去や未来ばかり考えていると焦点がぼやけるから今だけにスポットライトをあてる。
変えることのできない過去や分からない未来は不安を持ってくるけど、今できることに集中していれば過去や未来にストレスを感じることはないですもんね。
はたから見たら憐れかもしれないし、悲惨かもしれないけど、今僕は幸せです。何にもできない状態からここまで来たんですから。
それに家に帰ったらご褒美のチョコレートアイスが待っている。それを食べて美味しいって感じられる。それだけで十分って感じです。
頭から気になることをすべて追い出す〜GTD〜
やっぱり生きるためには仕事をしなければならない。
ただ今までの仕事のやり方、取り組み方ではまた同じ結果を生み出す可能性がある。再発は嫌だ。
じゃあ幸せに生きるためにどうしたらいいか。
そこで出会ったのがGTDという時間管理法です。日本では10年前くらいに流行ったそうです。知らなかったけど…笑
以前ブログでも少し書きました。
このGTDの内容はざっくり書くと下記です。
・頭から気になること(仕事、プライベート、悩み、あらゆること)すべてを書き出す
・気になることすべてに対して次に行う行動を決めておく(何もしないも含む)
・それらをすべて信頼できるツールでタスク管理する
・決めた行動を実行する
・週に一回気になることと行動をレビューする
GTDを始めて良いと思ったことが大きく3つあります。
①ストレスフリーを前提としている
GTDについては「ストレスフリーの整理術」という本に詳しく書いてあります。本の名前がストレスフリーなのです。
病気になったのは、ストレスを受けやすい自分にも原因があるので、そこにアプローチできるところに信頼がおけました。現に復職を支援する企業の心理士さんからも紹介されました。
②精神論ではなくシステマチック
人の心や考え方にアプローチするだけのものではなく、「やればいい」要素が多いです。しかも効果をすぐに実感できました。精神論的なものは分かっちゃいるけど…って感じになりますが、やればいいことが明確なのが良いです。
③仕事とプライベート両方に適用できる
この手法は単なるビジネススキルではなく、公私ともに適用するべきものとなっています。仕事だけ上手くできてもしょうがないですもんね。
GTDを始めてから何が良いって、頭のスペースが空きました。
悩みはたくさんあるんですけど、それを全て頭の外で管理しているので頭の中に余裕ができたんですね。
だから何かストレスを感じたときに、それを負の感情に持っていかずにすむエネルギーが頭に残っている気がします。おかげでひどい落ち込みには最近至っていません。
うつ病がひどい時は頭がぐちゃぐちゃになって、全部マイナスにいっていました。
GTDは幸せに、そして楽に生きるためにもってこいだなと感じています。
僕は一時期アドラー心理学にすごく感銘を受けて、今も大好きなのですが日常生活に落とし込むのは難しくて。
他にも有名な「7つの習慣」を実践しようとフランクリンプランナーを使用したこともありました。
両方とも病気になる前です。
両者とも本当に素晴らしい思想かつ手法です。でも僕にはハードルが高かった。変えなければいけないことが多かったし、やることが多くて難しかった。
ただ今回のGTDは大丈夫そうです。病気になったからってのもあるかもしれませんが。
ちなみに僕はGTD関係者の回し者ではありません
興味ある方はお試しあれです。
今さら礼儀正しくしても、もうあなたを見ている先生はいないのよ
喫茶店で並んでた日のこと。結構混んでました。
僕の前は幼稚園年長さんくらいの男の子と母親と父親。
フォーマルな格好をしていました。すごい声が大きくて話の内容が聞こえてくるんです。
どうやら子供の小学校の面接だったみたいです。いかにも教育ママって感じで、子供は面接であまり上手く振る舞わなかったようです。面接の内容について話してるのですが、母親の口調はかなり強めでした。
僕は病気になってからそういう場面がすごく苦手で(自分が言われてるような気がして…)、いつもはヘッドホンで音楽とか聞くようにしてるんですが、その日は子供がかわいそうでずっと見てたんです。
そしたら子供が列からすこし外れてたんですね。ほんのすこし。母親が注意してすぐに男の子は列に戻ったんです。
そしたら母親が言ったんです。
「今さら礼儀正しくしても、もうあなたを見てる先生はいないのよ!」
ショックでした。別に他人の教育方針をとやかく言うつもりはありません。でも子供に言う言葉なのか。子供は思うかもしれません。礼儀正しくするのは権力者の前だけでいいのかと。
もちろん僕には何もできません。普通にコーヒーを注文して席で飲みます。
そして僕が思ったのは、僕がいる社会にはこういう人間がたくさんいて否応無くストレスを与えてくるんだと。だから僕ができるのはそのストレスに対して服従せずに意見を言ったり、受け流したり、無視したりして自分の身を守るしかないって。
もちろん意見を言ってもそのひとが変わることを期待してはいけません。言うことで自分のストレスが減ればいいだけです。その人が変わるかはその人の勝手ですからね。
なんかあまりにもショックで書いてしまいました。僕がその子どもに出来ることは幸せを願うことだけです。
誰が決めたの?
メンタル絶不調のときに心理士さんとの面談で言われた言葉です。
心理士さんとの面談で職場での出来事を振り返っているときのこと。
僕は会社の先輩がかなり威圧的な性格だったのですが、文句があっても先輩には逆らってはいけないと思っていたのと、上司に相談するのも悪口になってしまうと思ってできなかったと話しました。話しながら思い出してしまって僕は泣いていました。
そしたら心理士さんが
「それ、誰が決めたの?」と言いました。
僕は上下関係があるから逆らってはいけないし、人の悪口は言ってはいけないものだからと言いました。
そしたら心理士さんに軽く切れられました。なかなか激しい人なんです
「上下関係あっても行き過ぎた指導やパワハラまがいのものは従う必要がないし、いくら先輩だからって納得いかないものは言っていいじゃない。上司が悪口か捉えるかも分からないのに決めつける必要はないし、そもそも悪口言ってもいいじゃない。実際自分から見たら悪いことされてるんだから!」
思わずそのときすいませんって言ってしまいましたが、結局僕は自分の中で勝手に決めていた「〜するべき」に囚われていたことに気づきました。
その面談から今に至るまで色々な自分の「〜するべき」に対して、それは誰が決めたのかを考えるようにしています。
例えばメンタル不調になった県庁にもどるべきか?
僕は休んでからずっと元いた場所にもどるべきだと思ってました。それは市役所からの期待もあったし、途中で抜け出してしまって申し訳なかったし、市役所に戻ったら情けないし…。
でもこれ全部、誰が決めたの?って言われたら自分が決めつけてるんですよね。人の期待ばかりに答えても疲れるだけだし、休んだのは環境要因も原因があるし、市役所に戻ったら情けないって自分で思ってるだけで周りがどう思うかなんて分からないし。
普通に考えて身体を大切にするなら市役所の方が得策ですよね。
家族関係もそうです。両親は尊敬するべきだ。大切にするべきだ。両親の言うことは聞くべきだ。
昔から高圧的に育てられてそういう思想になってしまったのか、今まで何も反抗してこなかったし、両親の期待する子供を演じていました。楽しそうな顔して。
でもこれも決めつけですよね。別に両親に逆らっても、期待されない人生を送っても、親から嫌われたとしても、何も言えないままストレスに埋もれて死ぬよりは全然良いですよね。
だから今ははっきり意見を伝えるようにしています。
こんな感じで、自分の考え一つ一つに「それ、誰が決めたの?」と自問することで考えの偏りが修正されているような気がしますし、自分の幸せをに繋がる方向を選べるようになっている気がします。今の方が生きるのがラクになりました。
さすがに日本の法律で決まってるものは守るべきだとは思いますけどね
次の日の天気を確認しておく+お礼
天気を気にするようにしています。
これは「うつぬけ」という本にも書いてあった話です。
著者はひどい鬱状態から抜けたものの、たまにくる憂鬱な気分の正体に悩まされていたとのことでした。
そして毎日の気分と、気温のグラフをつけた時に、急激な気温差で憂鬱な気分になることが分かったとのことです。
ほんまでっかTVでも同じようなことが話されていました。
「翌日の天気を気にしている人の方がメンタル不調になりにくい」
これは翌日の天気を事前に知ることで無意識に身体が心構えをするためとのことでした。それだけ人は天気や気圧に翻弄されやすいってことなんですね。
特にうつ病の人は、マイナスの変化に敏感なので、不調が出やすいのかもしれません。
僕は最近、天気予報がすぐ見れるアプリをスマホにいれて、夜必ず翌日の天気を確認するようにしています。
次の日が雨だと、事前に傘をカバンに入れとけますし、電車が混むかもしれないっていう予想も立てられます。朝の落ち込みや外に出る憂鬱感がだいぶ減ったように感じます。
本当に単純なことですが、お試しあれです。
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ブログを始めて1カ月が経ちました。思ってた以上に読んでくださる方々が多く、大変感謝しています。また同じように病気と戦っている人達のブログや頂いたコメントを見ることで励まされます。本当にありがとうございました。
ブログタイトルがネガティブだったので、少しでも前向きになれるように変更してみました。今後ともよろしくお願いいたします。
自分を褒める
リワークの過程で心理士の先生から学びました。
元々僕は自己評価が超低い人間だったので、人に褒められても疑っていたし、何かをやり切っても他の人だったらもっとできたかもしれないと考え、あまり自分を褒めるということができませんでした。
そんな僕ですが、リワークで小さなことでも積極的に自分を褒めて頑張ったことにはご褒美を設定するということを学びました。
そうすることで他人からの評価だけに頼らずに、自己肯定感の向上が期待できるとのことでした。
なので最近では、復帰訓練当日のご褒美はお昼の牛丼にとろろをかける、帰りにアイスを買う。2日目は帰りに気になっていたカフェに行く。1週間終わったらスーパー銭湯に行く、というご褒美を設定しました。頑張った自分へのご褒美があるとモチベーションになりますよね。
コツはどんな小さなことでも、何にもできないときと比べて出来るようになったことは褒めることです。
本当に小さなことです。例えば、病気がひどいときは何も食べたいものがなかった自分が、回復してきて、甘いもの食べたいと感じて買って食べたとき。
「俺自分で食べたいものを感じることができてそれを買って食べることができたわ、すごいなー」と褒めました。
僕が参考にしているうつ病経験者の方の話だと「水を飲めた行為」を称賛していたとのことでした。
これが習慣になってきて、僕は簡単なことでも自分で自分を褒められるようになり、ご褒美がなくても自分を褒める行為だけで心が軽くなって元気が出てくるようになってきました。自己肯定感の向上を実感しています。
一度ボロボロになって何にも出来なくなったからこそ、小さなできることに気づくことができるのかもしれません。それを積み重ねていく結果が新しい自分に生まれ変わることに繋がるような気がします。